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ブータン王国バイクツーリング


 夏休みにブータン王国を旅してきました。昨年は日本からDoor to Doorで韓国をバイクで一周してきたのですが、今年は趣が変わり、現地でインド製のバイクを借り、現地ガイドとサポートカーを引き連れてという、なんだか大がかりなツーリングとなりました。ということで、一般にあまり馴染みがないブータンの情報と合わせて、その様子を紹介しておきます(写真はクリックすると拡大します)。

・ブータンの観光事情
 

ブータン王国といえば、若い国王が結婚したての王妃を伴って2011年に来日した際、二人の一挙手一投足がマスコミで報じられ、日本でもにわかに有名になりました。 

長きにわたって外国との交流を制限する鎖国的な政策をとり、開放策に転じた後も「GDP(国民総生産)ではなくGNH(国民総幸福量)の向上を目指す」というキャッチーな国家ビジョンを打ち出してきた一風変わったアジアの途上国として気になっており、私自身もいつか訪れてみたい(できればバイクで)と以前から考えていました。しかし、旅行で行くには何かと敷居が高いのがブータンです。

なにしろ、各国が手っ取り早い外貨獲得策としてこぞってインバウンド観光の振興を推進するなか、ブータンは外国人の自由旅行をいっさい認めず、実質的に旅行者数を制限してきたのです。いまだに、政府が定額の旅行料金(シーズンによって1日200米ドルまたは250米ドル)を設定したうえで、利用するホテル、レストランから同行するガイド(同行は必須)まで、すべて事前に指定するセットメニュー型の旅行しか認めていません。

ブータン政府はこれを、伝統文化と自然環境を守りつつ、観光資源を質の高い状態で外国人に提供するため、と言っています。実際、私が今回見た限りでも、この国の観光資源はきわめて豊富で、たしかに良質に保たれています。その反面、ブータンを訪れたい外国人にとっては、価格の面でも自由度の面でもハードルが高くなっており、結果的にブータンへの外国人観光客は年間2万人程度に抑制されてきました。 

しかし、その一方で、政府は観光振興を政策の柱の一つに掲げてもいるのです。観光客の絶対数は少ないものの、観光業はGDPの十数%をも稼ぎ出しています。2011年のワンチック国王の訪日も、日本からの観光客誘致が一つの狙いであったのは間違いありません(実際に国王訪日を境に日本人観光客は倍増)。観光についてこの国は、いわばブレーキとアクセルを同時に踏んでいるような状態なのです。このことからも、ブータンの特殊性の一端が伺えるでしょう。

・旅のセッティング 

そんなブータンなので、国内をバイクで自由に走り回れるなど、とても考えられませんでした。かといって、高額の料金を払ってセットメニューのツアーに参加する気にはなれず、個人的には「行きたくても行けない」国だったわけです。 

ところが・・・たまたま「Bhutan」と「motorcycle」をキーワードに(日本語ではなく英語で) Webで検索してみたところ、ヒットするではないですか! しかも、そのまんま「Motorcycle Bhutan」というバイクツーリング提案のページ。さらにそれは、同国最大手の旅行会社で政府にも近い「Bhutan Tourism Cooperation Ltd.」(BTCL:政府観光公社が1991年に民営化)のサイト内にありました。これは政府公認みたいなものです。このサイトを見た瞬間、私のなかでブータン行きのスイッチが入りました。

そのあとすぐにBTCLにコンタクトして、旅程やルートを含めた様々な打ち合わせや条件交渉をし、国際送金(かなり面倒)での支払いを済ませました。担当者はこちらの細々した要求を理解したうえで、ブータンのルールや流儀との兼ね合いなどを考慮し、じつに丁寧に対応・説明してくれました。ブータンは小さなアジアの最貧国ですが、一部の人たちの教育水準は英語力も含めて、かなり高いのだろうとこのとき感じました。


この国でのバイクのツーリングは、冒頭にも書いたように、もう1台のバイクに乗るガイドが同行し、サポートトラックが後に付き、その車にドライバーとバイクのメカニックが同乗することが条件です。当初、ガイドもサポートカーもいらないから、バイクだけ貸してくれと要求しましたが、もちろんそれは認められません。結局、バイク2台とピックアップトラック1台に乗る計4人のチームで7泊8日のツーリングに出かけることになりました(料金は、バイク代60米ドル/日以外は普通の旅行者と同じなので、じつはとてもお得)。これまでほとんどが一人旅だった私としては、大名行列のような大げさなセッティングは苦手なのですが、今回については3人のブータン人といっしょに巡る1週間の旅はとても有意義で、結果的にこの体制で良かったと思っています。

ブータンの国家としてのあり方について旅の途中に考えたこと(例えば、GNHの追求は通常の途上国の開発政策とどう違うか、国民はなぜ自分たちが幸福だと 思っているのか、この国の王制と民主化との関係は、など)は、別の機会に述べるとして、このブログではとりあえず、バイクで走りながら見聞きし、経験した ことを書いておきます。

 ・ブータンの道路

バイクの旅では、まず乗るバイクと走る道路の状態が重要です。今回使ったバイクは、インド製の「ロイヤル・エンフィールド」という南アジアの国々では有名な「名車」です。みるからにクラッシックなバイクで、実際に基本設計は50年ほど前のものですが、インドでは現在でも新車として生産・販売されています。もともと旧宗主国イギリスのメーカーが製造していたものを、インド資本が買い取って作り続けているのです。機械としての絶対性能は、日本製や欧州製のバイクと比べて大人と赤ん坊ほども違いますが、独特のテイストを持った魅力的なバイクなのです。
もう一つ重要な道路状況ですが、この点でもブータンは特徴的でした。かつてバイクで走った41カ国の中で、ロードコンディションが最悪だったのは、社会主義崩壊直後に走ったルーマニアと10年ほど前に行ったラオスですが、じつはブータンの道はそれらに並ぶレベルです。道路は最も基本的な経済・社会インフラですから、道の悪さはこの国の発展にとって大きな足かせになっているはずです。

ブータンの道が悪い(舗装が行き届いていない、でこぼこのまま補修がされていない、道幅が狭い、崖崩れなどの処理が不十分で危険など)最大の理由は、この国の地形にあります。ブータンの国土は、北は世界最高峰の8000m級のヒマラヤ山脈から、南は海抜200m程度の亜熱帯地域まで、全体に南北に大きく傾いた斜面にあります。大量に降る雨やヒマラヤからの雪解け水がその斜面を流れ落ちて急流を作り、大地を削り取って南北に多くの深い谷と高い尾根を作り出しているのです。


主要な町はそれぞれの谷の部分にあるので(標高は2000m前後)、これらの町を結ぶ道路は、谷から谷へと標高3000m以上の山を上って下るルートとなります。車がまともに走れる幹線道路は、基本的に東西方向に一本、南北に数本あるだけの簡単な構造ですが、特に東西を結ぶ道路は谷と尾根を幾つも横切る曲がりくねった急峻な山岳路となってます。このような山岳地帯特有の険しい地形と道路整備に手が回らない経済状況、それらが道路の整備を遅らせているというわけです。今回走ったのは主要な町を巡る東西間の往復ルートなので、とにかく毎日、標高3000m以上の峠を越えるライディングでした(景色は最高です!)。町の周辺の道路は舗装もしっかりしていて問題ないのですが、山に登るに従って悪路が多くなります。8月までの雨期に大量の雨が降るため、切り立った山肌を削って作った道路はあちこちで土砂崩れを起こしていました。ちょっとでも道を外れたら、はるか彼方の谷底まで真っ逆さまという、日本なら絶対に通行が許可されないようなところを何カ所も通りました。 

そんな山間の道を走っている時、日本の援助(ODA)で架けられた橋に3ヶ所で出会いました。それほど巨大な橋ではありませんが、頑丈そうな鉄の橋が、「日本国民よりブータン王国と日本国の友好と協力のしるしに」と記されたプレートとともに、それぞれの場所で存在感を放っていました。 

それからもう一つ、まだ車が少ないこともあり、ブータンには、なんと信号機が一つもありません。首都ティンプー市内はさすがに車の数は多いのですが、それでも交差点に信号はなく、警察官が手信号で交通整理をしています。考えたこともありませんでしたが、日本にはいったい何本の信号機があるのでしょう。その違いが、日本とブータンの交通事情、ひいては人々の生活や発想の違いを端的に表しているといえるかもしれません。 

・自然と歴史遺産

この国を回ってみて、まず印象的なのは、都市部以外ではほとんど手つかずに残されている豊かでダイナミックな自然と、その中で伝統を維持しながら生活する人々の姿です。自然は、特にヒマラヤから連なる山岳地帯の山と谷が織りなす壮大な景観が見事でした。

バイクの旅は、生身の体を外界にさらしながら五感のすべてを動員してその場所を感じ取り、少なくとも移動した道の周囲の風景のすべてを(一秒も居眠りすることなく)記憶に刻みながらたどる点で、他の旅と違います。今回はそんなバイクでの旅の効果が、うまく発揮されました。
 

都市部から農村部を抜け、川に沿って高原地帯を通り、さらに急な坂を登って富士山の頂上に近い高さの高山帯を越えるという一連の行程、これを地方ごとに少しずつ違う個性を感じながら毎日体験できるのです。また、この国では標高2500m以上の高地にまで人々が住み着いて、自然の中で農畜産業に従事しながら生活しており、そのような人々とも道すがら間近に触れ合うことができます。 

自然とともに印象深いのは、15世紀から19世紀にかけて築かれた城(ゾン)と寺院(ラン)、およびその中に所蔵されている仏像や壁画の数々です。主要な町に必ずあるゾンは、この国を代表する文化遺産であるばかりでなく、現在でも各地域の行政と仏教信仰の中心として生き続けています。各地のゾンの内部には、その地方の行政機関がオフィスを構え、日々の業務にあたっています。首都ティンプーのゾンには国家の行政機構が入っています。また、ゾンの半分は寺院と僧侶の宿舎となっており、幼い修行僧から高僧まで多くの僧侶が住んでいます。 

また、ゾン内の寺院やそれ以外にも各地に数多く存在する寺院の中には、驚くほどたくさんの仏像や壁画が納められています。残念ながら寺院内部は撮影禁止のため、写真で紹介することはできませんが、それはそれは素晴らしい文化遺産の宝庫です。ブータンの仏教はチベット仏教の影響を色濃く受けており、日本の仏教遺産とは趣を異にしますが、それぞれに特徴を持ち、迫力あふれる仏教遺産の数々に圧倒されました。 

観光産業の観点から見ると、この国の自然と歴史・宗教遺産は、極めて価値の高い観光資源として、世界中から観光客を引きつける魅力を持っていると思います。ただ同時に、これらは、今を生きるブータン人にとって日常に埋め込まれた生活の場であり、また神聖な信仰の場でもあります。そういった様子を目にすると、それらを観光資源として外国人に開放することを躊躇し、制限しようとするこの国の姿勢もまた理解できます。

・人々の生活


ブータン人が自ら幸福であると思っているかどうかは別として、近代化に向けた経済発展の水準を他国と横並び比べる限り、ブータンは明らかに低開発の国といえます。公務員の平均月収は2〜3万円だと聞きました。ただ、地方の農村部を含めて電化率はインドやネパールよりもかなり高いと見受けられますし、水も質を問わなければいたって抱負です。また、自動車やバイクは少ないですが、携帯電話が地方の農民の間にまで広く普及しているのには驚かされます。

外で目につくのは、民族衣装であるゴ(男性)とキラ(女性)を身にまとった人々の姿です。学校や職場の制服は民族衣装と定められ、またブータン人には外出時や行事への参加時などに民族衣装の着用が求められます。私のガイドを務めてくれたタシも、ゾンや寺院を訪れる際には民族衣装に着替えてからバイクに跨がります。また、約60万人の人口の1%ほどが僧侶という敬虔なお国柄から、赤い僧衣に身を包んだ僧の姿も多く目にします。伝統文化を維持しようとする側面がある一方、2000年代からの対外開放策やグローバル化の影響によって、それらが徐々に変わろうとしている面も見受けられます。携帯電話の普及もその一例ですが、それ以外にも、建設現場や道路工事の現場で働いている労働者の多くがインド人やネパール人であることに気づきます。ブータン人自身も所得水準はまだ低いのですが、さらに賃金の安い外国人労働者を近隣諸国から呼び入れているのです。もともと多民族な国ですが、さらに外国人労働者が増えて多民族化が進んでいるようです。

最後に、教育面、特に英語教育についてちょっとだけ触れておきましょう。最初にも述べたように、教育水準の高いブータン人は英語が得意です。ガイドのタシもインドで大学教育を受けており、流ちょうな英語を話します(ただし、ブータン人の英語はインド人のそれと比べてずっとわかりやすいと思います)。王族や貴族層のように英米で高等教育を受ける人々も一部にいるようですが、むしろ彼のように隣国インドに留学する人のほうが多いようです。

国内の小学校でも英語教育は盛んで、今回アポなしでいきなり見学させてもらった地方農村部の小学校でも、かなり高度な英語の授業をしていました。小学校でも理系の授業などは英語を授業用語に使っているようです。国語であるゾンカ語を整備しながら、同時に英語にも重きを置く姿勢がうかがえました。ということで、書き始めたら長くなってしまいましたが、それほどブータンが印象深い国だったということなのでしょう。未知の国への旅という意味でも、秘境でのバイクツーリングという意味でも、心に残る経験でした。いずれにしても、お世話になったブータンの人々に感謝です。

(文・写真:金子芳樹)




 

講演会「海外との関わりで見えたもの ― 広報ウーマン6年間のヒストリー」

英語学科主催の連続講演会「仕事と暮らしのつくり方」の2012年度第1回講演会が、ゲストスピーカーに間島ゆかりさん(左の写真)をお招きして、627日に開催されました。

海外との関わりで見えたもの ― 広報ウーマン6年間のヒストリー」と題された講演では、間島さんが、これまで2つの職場で担当した広報業務を中心に、大学時代のアメリカ留学から直前まで勤めていたバングラデシュ政府観光局の仕事に至るまで、それぞれの段階で何を感じ、考え、そしてどう行動してきたかを語ってくださいました。

特に、大学卒業後勤めた外資系PR代理店で油がのってきた時期に、あえて新たな挑戦の場を求めて青年海外協力隊に応募し、観光業隊員として新天地バングラデシュに飛び込んでいった時の話には、50人を越える学生のみなさんも強く刺激されたようです。

間島さんは、バングラデシュが持つ低開発や貧困といったネガティブなイメージを払拭したいという想いから、様々なメディアを使って同国の良さをアピールする活動を行ってきたそうです。その一環として間島さんが作成されたドラマ仕立ての観光PRDVDSONAR BANGLA~夢のような5日間の物語」を、講演会の後半に鑑賞しました。間島さん自らが観光客役として主演するこのDVDでは、バングラデシュの見所や現地の人々の生活や考え方などがとてもうまく表現されていました。

この連続講演会は、毎回ゲストスピーカーの方に学生の代表がインタビューする形式で進められますが、今回は金子ゼミを代表して澤木さくらさん(写真右から2人目)、小見山紗織さん(同右端)、畑澤直希くん(同左端)がその役を務めてくれました。今回のゲストの間島さんは、もともと澤木さんがバングラデシュにインターシップで1年行っていた時に出合ったのがきっかけで、お招きすることになったのです。

これからも、ちょっと変わった魅力的なキャリアをお持ちのゲストの方々をお招きしてお話しをうかがい、学生のみなさんに将来の職業選択や生き方のヒントを掴んでもらえたらいいなと思っています。

 

10回の国境越え


前の記事で書いたボルネオの旅の続編です。ブルネイでの資料収集の合間に、ボルネオ島に同国と陸続きとなっている隣国マレーシアのサバ州とサラワク州に車で出かけました。その道中の様子を記しておきます。

島国で国境がすべて海の上にある日本に住んでいると国境線(national borders)というものを日常的に意識することはありませんが、世界の大半の国は陸続きの国境を持っています。そして、この国境をめぐってさまざまな出来事が起こり、悲喜こもごものドラマが繰り広げられてきました。

いまアメリカでは1000万人を越える不法移民を減らすために、隣国メキシコとの国境の警備を強化しています。一方、ヨーロッパではEU統合の進展とともに国境の壁はどんどん低くなり、陸路では国境を越えたかどうかもわからないままに隣国に入っていることもしばしばです。アジアではどうかというと、日本、フィリピン、スリランカなどの数カ国を除く国が陸路国境を有し、基本的に国境線ではかなり厳重な出入国のチェックや規制が行われています。



私自身も、数えてみると今までに40ヶ国ほどの国境を陸路で越えてきました。国境越えでたいそう消耗したことも(東欧・旧ソ連圏など)、また陸路での国境越えを拒否されたこともあります。西ヨーロッパ以外では、いまだに陸路で国境を越える時にはちょっとした緊張感を覚えます。

今回のブルネイとマレーシアの間の国境越え、特にブルネイの首都バンダル・スリ・ブガワンから北東へ350km行ったところにあるマレーシア・サバ州の州都コタキナバルに向かうルートは、緊張感こそさほどないものの、これまでにない一風変わった経験をしました。1日かければ楽に移動できる距離と道路状況なのですが、地図にあるように国境が極めて複雑に入り組んでいるため、1日の移動の間に国の境を4回も出入りしなければなりません。現地に長らく在住の友人の指南を受けながら、二人でこのルートを走りました。

まず、ブルネイのバンダル・スリ・ブガワンを出て、国境に向け50kmほど走ります。イスラムの断食月(ラマダン)の最中であるため、イスラム教徒が大半を占めるブルネイでは、日中は人通りもまばらで通勤時を除けば道も空いていました。最初の国境越えではブルネイを出てマレーシアのサラワク州に入ります。
陸路での出入国も、空港での手続きと同じように、イミグレーションでのパスポートチェックと税関(custom)の荷物検査があります。まずは、ブルネイ側の国境検査所の税関で車を持ち出す手続きをし、イミグレーションでチェックを受けます。それを終えてしばらく進むと今度はマレーシア側の国境検査所があるので、そこで入国カードをもらって記入し、イミグレーションと税関でチェックを受けます。空路と違うのは、これら一連の手続きを車に乗ったまま、ドライブスルー形式で行うことです。

ブルネイの領土が2分割されているため、途中、もう一度ブルネイへ入国してから再度マレーシアのサラワク州に戻る必要があります。さらに、サラワク州とサバ州は同じマレーシア領にもかかわらず自治権が強いため、他国へ出入りする時と同じようにパスポートチェックを受けなければなりません。つまり、ブルネイからサバ州に行くためには、片道でも上記の出入国手続きを4回繰り返す必要があるわけです。

現在では、国境の検査所はどこも整備されていて不便さはありませんが、そのたびに入国カードをもらって記入し(この作業ってけっこう面倒ですよね)、イミグレーションの係官がパスポートの履歴をチェックしているのをちょっと緊張しながら待つことになります。

今回はどこの検査所でも引っかかることなく、スムーズに国境越えができました。それ以外の道中は、ジャングルの中やジャングルを切り開いたパーム椰子のプランテーションの間を走り、時たま出てくる小さな町で食事をしたり、村々のマーケットをのぞいたりしながら過ごします。街道沿いのマーケットでは、南国で「くだものの王様」といわれているドリアンがちょうど季節で、どこに行っても山積みにされていました。その場で割ってもらって食べるのですが、これが美味(独特の味と香りなので好みは分かれますが、基本的にウマイです)で次々を食べてしまいます。


街道といっても高速道路ではないので、人々の生活ぶりが間近にみられます。陸路の旅の利点は、点ではなく線でその国をみることができることです。空港のある都市部だけではわからない、そしてじつはその国の大半を占める地方・農村の姿に接することができるのです。

今回、陸路で走って印象深かったことは、熱帯雨林(ジャングル)の伐採とその後の利用状況がよくわかったことです。もともとボルネオは世界有数の熱帯雨林に覆われた土地でした。熱帯雨林とは、高温多雨で地味の良い土地に様々な動植物が高密度で集積した密生林です。高さ50m級の高木から地表を埋めるシダ類まで、様々な木々がぎっしりと詰まった緑の宝庫です。地球上でCO2を酸素に還元する能力が最も高い地域でもありました。

ところが、経済開発と国際貿易の流れの中で1970年代以降、マレーシアのサバ州、サラワク州では乱伐が進み、深いジャングルはほとんど姿を消してしまったのです。そこから切り出された木材の最大の輸出先が日本であったことは有名です。ボルネオで唯一熱帯雨林の原生林がそのまま残ったのがブルネイです。同国は、石油と天然ガスの資源に恵まれているため、他国のようにひたすら外貨獲得のために木材を売りさばく必要がなかったからです。

それは、実際にこの地帯を走ってみるとよくわかります。ブルネイでは地方の街道の両脇に見上げるばかりのジャングルが迫っている地域が多いのに、同じ道でもマレーシア領に入ると背の高い木々が生息する森はなくなり、低木の林か、もしくはパームオイルを採るためにパーム椰子が植えられた大農園に代わります。パーム椰子農園も同じく緑で覆われてはいるものの、CO2の吸収量は遥かに少ないそうです。熱帯雨林の再生には4〜500年かかるとのことで、一度破壊されたジャングルは簡単には元に戻りません。そんな、森林破壊の実態をかいま見る道中でもありました。

このルートは、基本的に道路状況は良いのですが、国境となっている河を含めて橋が架かっていない部分が2カ所ありました。そこでは橋の代わりに車を運ぶ艀(はしけ:またはフェリー)を使わなければなりませんが(写真参照)、ジャングルの中を流れる河をフェリーで渡るのもなかなか面白い体験でした。

また、両国の国境付近で珍しいのは、ブルネイに入る手前のマレーシア側にアルコール類を売る酒屋とパブが林立していることです。これは、ブルネイがイスラムの教義に厳格で、国内でのアルコールの販売をいっさい認めない禁酒政策を取っているためです。

ブルネイ人でもイスラム教徒でない住民やさほど敬虔でないイスラム教徒は、国境からマレーシア側に出てこれらのパブで酒を飲むか、旅行者として持ち込みが認められている量(ビールの缶なら12本、ボトル類は2本まで)を酒屋で買い込んで持ち帰るのです。若いブルネイ人女性のグループが、パブのテーブルにビールの瓶を何十本も並べて昼間から飲みふけっている様子は、両国の国境ならではといえるでしょう。

目的地に近づいたものの、夕方から南国特有の強烈なスコール(ゲリラ豪雨)にみまわれ、最後の数十キロは雨と闇の中での峠越えドライブとなって相当に消耗しました。それでもなんとか無事にコタキナバルに到着することができ、この地域でも随一のシーフード料理と冷たいビールで旅の疲れを吹き飛ばすことができました。

このときのドライブを含め、ブルネイ滞在中の10日ほどの間に国内一周、さらに東西の国境を隔てた隣国へ車で出かけ、合計10回の国境越えをしました。日本との間の出入国を含めて、この間にパスポートに押されたブルネイとマレーシアのビザのハンコは全部で22個、それだけで3ページ分が埋められました。
 多少の体力はいりますが、陸路の旅、おすすめです。

 (文・写真:金子芳樹)

 

ブルネイの7つ星ホテル

夏休みの期間を利用して、東南アジアの一国ブルネイに行ってきました。そのブルネイ、および陸続きの国境を越えて何度も出入りしたマレーシアのサバ州とサラワク州の様子について、2回に分けてレポートします。

ブルネイは1984年に独立した新しい国で、名前ぐらいは聞いたことがあっても、実態を知る人は少ないかもしれません。たしかに人口は30万人ほどで、東南アジア11ヶ国の中でも最も少なく(ちなみに草加市の人口は24万人)、国際社会はもとよりアジア地域においても、けっして目立った存在ではありません。
 

とはいえ、石油と天然ガスに恵まれて国民の平均所得はアジアの中では日本、シンガポールと並んで高く、個人の所得税はゼロ、医療や教育はただ同然、さらにこの国の王様(スルタン・国王)は「世界一のお金持ち」として有名だったりします。また、イスラムを国家の中心に据えた国づくりをしており、人口の3割が外国人出稼ぎ労働者、国民の8割が公務員といった面などを含めて、アジアというより中東産油国に近い国家システムを持つ国という感じです。

エネルギー資源にこと欠かないだけに、最近の日本のような「エコ・ブーム」とはほとんど無縁で、プリウスなどのエコカーもまったく見かけません(最近やっと4台ほど輸入されたとのこと)。一方、同じボルネオ島の国境を隔てた陸続きの地域(マレーシア、インドネシアの一部)で大規模な森林伐採が行われ、熱帯雨林の多くが消滅してしまったのに対して、ブルネイ(千葉県より一回り広い面積)では密生した熱帯雨林の大ジャングルがほぼ手つかずのまま残され、国土の約8割を占めているというエコな面もあります(最後の写真参照)。

また、天然資源の枯渇に備えて独特の産業を築こうとする国家戦略の下、入場料無料の大規模テーマパーク(現在は小額の入場料を徴収)、メディカル・ツーリズムのための高度医療センター、国内の富裕層や外国人の子女を対象としたハイレベルなインターナショナル・スクール、超豪華なリゾートホテルなどを国家(王室)主導で作り上げてきたという国づくりのチャレンジもかつてありました。

そんな、小さいけれどちょっと興味深い国がブルネイなのです。今回は、このブルネイにある「7つ星」と言われる「ザ・エンパイヤ・ホテル」(The Empire Hotel & Country Club Brunei Darussalam: http://www.theempirehotel.com/)について書き留めておきます。

「7つ星ホテル」と称されるホテルが世界には幾つかあります。アラブ首長国連邦のドバイにある海に突き出た三日月型の世界最高層ホテル「ブージュ・アル・アラブ」、北京に最近できた超高級ホテル「北京盤古七星酒店」などを指しますが、ブルネイの「ザ・エンパイヤ」も、しばしばその「7つ星」カテゴリーに入る豪華ホテルとして取り上げられます。
 

通常、ホテルの格付けに使われる「星」の数は1〜5までで、一般的なレーティングで6以上の星が付くことはありません。したがって、星7つといっても、それは「いわゆる7つ星」ということで、「☆☆☆☆☆」のカテゴリーからはみ出すほどの豪華さ、という意味でそう呼ばれているといったほうが良いのでしょう。もっとも、ホテルの格としての星の数に厳密な統一基準があるわけではないようで、国ごと、もしくは評価する主体ごとに微妙に異なっていることもあるので、北京の上記ホテルのように、自称「七星」ホテルが出てくる余地があるわけです。

さて、その「7つ星」の豪華ホテルの一つに、なんと8泊もしてしまった私の感想はというと・・・幾つかあります。

第一に、ホテルの建物のデザインや内外装、広大な空間を使ったリゾート施設、国際的トーナメントも開けるゴルフ場をはじめとする各種スポーツ施設、敷地内に配された映画館やレストラン群などは目を見張る豪華さと質の高さを誇っており、評判どおり圧巻でした。約10年前に、贅を尽くした豪華なホテルを建ててブルネイの象徴としてアピールするという国策の下に、オイルマネーをふんだんに注ぎ込んで作ったのですから、それもそのはずです。

実際に、使用されている大量の大理石や金箔、そして各種木材なども厳選された本物で、その質感の高さに驚かされます。近代的な欧米系の5つ星ホテルが、一見豪華でもじつは大理石風の合成樹脂といったイミテーション素材を多用している昨今、エンパイヤの絢爛さは筋金入りといえます。また、途上国にありがちな、表はきれいでも裏に回ると粗悪な手抜き工事といったことも、少なくとも滞在中には目にしませんでした。こういったハードウェアの面では間違いなく超一流といえるでしょうし、ブルネイという国にとっても貴重な財産であり、潜在的にはとても有益な観光資源であることは間違いありません。

第二に、ソフト面、つまりホテルが従業員を介して提供するサービスの面についてです。この点は、ハード面の豪華さや高品質さとは裏腹に、がっかりさせられる点が多々ありました。具体的には、ベルボーイやフロントのレセプショニスト、コンシャルジュ、ビジネスセンターのアシスタント、さらにはクリーニング担当のスタッフなど従業員の態度や客への応対です。人にもよりますが、概して、笑顔が少ない、言葉が少ない(必要最小限の実務的反応しかない)、客への配慮が少ない・・・といった面です。ひっくるめてホスピタリティーというならば、その点がハードウェアに比べて大きく欠けているとの印象です。


2年前の夏にもうひとつの「7つ星」であるドバイのブージュ・アル・アラブに「潜入」した時に感じた超一流のホスピタリティーと比べると、その差は歴然としています。「潜入」といったのは、このブージュ・アル・アラブは宿泊客(最低でも1泊20万円以上)かレストラン(夕食は1人3万円程度)の予約客しかホテルの敷地内に入れないので、この時はやむなく日本円で7000円もする朝食を予約することでなんとかホテルに入れてもらったからです。一度入れば後はこっちのものなので、7000円分くまなく内部を見せてもらいました。

この時に感じた、「客が何かを求めて動こうとするその直前に、従業員がそれを察してすでに笑顔で動き始めている」といったレベルをホスピタリティーの一流品とするなら、ブルネイのエンパイヤ・ホテルのそれは残念ながらまだまだ三流の域といわざるを得ません。まあ、ただの宿泊施設としてそのようなレベルのサービスを期待しないのであれば、十分に快適ではあるのですが、ハードが超一流なだけにバランスの悪さが特に印象に残ってしまいました。ちなみに、星の数のレーティングは、ホテルのハード面を中心につけられており、ソフト面の不十分さは星の数には反映しないようです。
 

第三は、「7つ星」に見合わない驚くべき激安価格という点です。他の7つ星ホテルが最低でも一泊10万円をくだらないのに対して、エンパイヤ・ホテルは円高も手伝ってなんと1泊約1万円(!:それでなければ8泊もできません、私)、しかもかなり豪勢なビュッフェ式朝食付きです。別に特殊なルートを使ったわけではなく、ホテル自身のオンライン予約サイトに日本から予約を入れただけです(旅行代理店を通すと2割ほど高い)。当初は民営(半官半民的)として営業するはずで、最低価格も5〜6万円に設定されていたようですが、需要が低いのと途中から国営として運営されるようになったことなどから、採算度返しの価格設定がされているようです。

第四に、上の点とも関係しますが、宿泊客、利用客がものすごく少ないということ。近くのシンガポール、マレーシア、タイ、インドネシアなどでは、施設面でエンパイヤの足元にも及ばないのに宿泊代が数倍もするようなリゾートホテルが満杯の盛況だというのに、ここエンパイヤではホテル内のどこに行っても人影はまばらで閑古鳥が鳴いている状態です。まるで貸し切りのようにホテルを使えるのはありがたい反面、なんとも不思議な光景、不思議な現象に映ります。

ブルネイへの直行便がないとはいっても、穴場をみつけるのに目ざとい日本や欧米の観光客がこの超高級・激安リゾート施設に押し寄せないのはなぜなのだろう・・? 観光資源を活用できない国の無策のせいなのか、イスラムに厳格で国内での飲酒を禁止している国柄のせいなのか、もしくは国営の殿様ビジネスでそもそも宣伝やプロモーションをする気がないのか・・・。この状況をみて、ツーリズムの促進には観光資源そのものとは別に、それをアピールする意志と能力がいかに重要かを痛感させられます。

ホテルを出て街や地方に出かけても、興味深い情景に出くわすことが多いブルネイです。アジア有数のオイル・リッチ・カントリーとはいえ、途上国特有の貧富の格差はあちこちで見受けられますし、天然資源に依存しない産業の開発に苦悩する姿もあります。また、イスラムと近代化の折り合いの付け方や、人口の3割に達する外国人出稼ぎ労働者の処遇などにも、この国独特のあり方が垣間見えます。

ということで、小さいながらも、考えさせられることの多い国、ブルネイでした。
  
 (文・写真:金子芳樹)

 

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