10回の国境越え


前の記事で書いたボルネオの旅の続編です。ブルネイでの資料収集の合間に、ボルネオ島に同国と陸続きとなっている隣国マレーシアのサバ州とサラワク州に車で出かけました。その道中の様子を記しておきます。

島国で国境がすべて海の上にある日本に住んでいると国境線(national borders)というものを日常的に意識することはありませんが、世界の大半の国は陸続きの国境を持っています。そして、この国境をめぐってさまざまな出来事が起こり、悲喜こもごものドラマが繰り広げられてきました。

いまアメリカでは1000万人を越える不法移民を減らすために、隣国メキシコとの国境の警備を強化しています。一方、ヨーロッパではEU統合の進展とともに国境の壁はどんどん低くなり、陸路では国境を越えたかどうかもわからないままに隣国に入っていることもしばしばです。アジアではどうかというと、日本、フィリピン、スリランカなどの数カ国を除く国が陸路国境を有し、基本的に国境線ではかなり厳重な出入国のチェックや規制が行われています。



私自身も、数えてみると今までに40ヶ国ほどの国境を陸路で越えてきました。国境越えでたいそう消耗したことも(東欧・旧ソ連圏など)、また陸路での国境越えを拒否されたこともあります。西ヨーロッパ以外では、いまだに陸路で国境を越える時にはちょっとした緊張感を覚えます。

今回のブルネイとマレーシアの間の国境越え、特にブルネイの首都バンダル・スリ・ブガワンから北東へ350km行ったところにあるマレーシア・サバ州の州都コタキナバルに向かうルートは、緊張感こそさほどないものの、これまでにない一風変わった経験をしました。1日かければ楽に移動できる距離と道路状況なのですが、地図にあるように国境が極めて複雑に入り組んでいるため、1日の移動の間に国の境を4回も出入りしなければなりません。現地に長らく在住の友人の指南を受けながら、二人でこのルートを走りました。

まず、ブルネイのバンダル・スリ・ブガワンを出て、国境に向け50kmほど走ります。イスラムの断食月(ラマダン)の最中であるため、イスラム教徒が大半を占めるブルネイでは、日中は人通りもまばらで通勤時を除けば道も空いていました。最初の国境越えではブルネイを出てマレーシアのサラワク州に入ります。
陸路での出入国も、空港での手続きと同じように、イミグレーションでのパスポートチェックと税関(custom)の荷物検査があります。まずは、ブルネイ側の国境検査所の税関で車を持ち出す手続きをし、イミグレーションでチェックを受けます。それを終えてしばらく進むと今度はマレーシア側の国境検査所があるので、そこで入国カードをもらって記入し、イミグレーションと税関でチェックを受けます。空路と違うのは、これら一連の手続きを車に乗ったまま、ドライブスルー形式で行うことです。

ブルネイの領土が2分割されているため、途中、もう一度ブルネイへ入国してから再度マレーシアのサラワク州に戻る必要があります。さらに、サラワク州とサバ州は同じマレーシア領にもかかわらず自治権が強いため、他国へ出入りする時と同じようにパスポートチェックを受けなければなりません。つまり、ブルネイからサバ州に行くためには、片道でも上記の出入国手続きを4回繰り返す必要があるわけです。

現在では、国境の検査所はどこも整備されていて不便さはありませんが、そのたびに入国カードをもらって記入し(この作業ってけっこう面倒ですよね)、イミグレーションの係官がパスポートの履歴をチェックしているのをちょっと緊張しながら待つことになります。

今回はどこの検査所でも引っかかることなく、スムーズに国境越えができました。それ以外の道中は、ジャングルの中やジャングルを切り開いたパーム椰子のプランテーションの間を走り、時たま出てくる小さな町で食事をしたり、村々のマーケットをのぞいたりしながら過ごします。街道沿いのマーケットでは、南国で「くだものの王様」といわれているドリアンがちょうど季節で、どこに行っても山積みにされていました。その場で割ってもらって食べるのですが、これが美味(独特の味と香りなので好みは分かれますが、基本的にウマイです)で次々を食べてしまいます。


街道といっても高速道路ではないので、人々の生活ぶりが間近にみられます。陸路の旅の利点は、点ではなく線でその国をみることができることです。空港のある都市部だけではわからない、そしてじつはその国の大半を占める地方・農村の姿に接することができるのです。

今回、陸路で走って印象深かったことは、熱帯雨林(ジャングル)の伐採とその後の利用状況がよくわかったことです。もともとボルネオは世界有数の熱帯雨林に覆われた土地でした。熱帯雨林とは、高温多雨で地味の良い土地に様々な動植物が高密度で集積した密生林です。高さ50m級の高木から地表を埋めるシダ類まで、様々な木々がぎっしりと詰まった緑の宝庫です。地球上でCO2を酸素に還元する能力が最も高い地域でもありました。

ところが、経済開発と国際貿易の流れの中で1970年代以降、マレーシアのサバ州、サラワク州では乱伐が進み、深いジャングルはほとんど姿を消してしまったのです。そこから切り出された木材の最大の輸出先が日本であったことは有名です。ボルネオで唯一熱帯雨林の原生林がそのまま残ったのがブルネイです。同国は、石油と天然ガスの資源に恵まれているため、他国のようにひたすら外貨獲得のために木材を売りさばく必要がなかったからです。

それは、実際にこの地帯を走ってみるとよくわかります。ブルネイでは地方の街道の両脇に見上げるばかりのジャングルが迫っている地域が多いのに、同じ道でもマレーシア領に入ると背の高い木々が生息する森はなくなり、低木の林か、もしくはパームオイルを採るためにパーム椰子が植えられた大農園に代わります。パーム椰子農園も同じく緑で覆われてはいるものの、CO2の吸収量は遥かに少ないそうです。熱帯雨林の再生には4〜500年かかるとのことで、一度破壊されたジャングルは簡単には元に戻りません。そんな、森林破壊の実態をかいま見る道中でもありました。

このルートは、基本的に道路状況は良いのですが、国境となっている河を含めて橋が架かっていない部分が2カ所ありました。そこでは橋の代わりに車を運ぶ艀(はしけ:またはフェリー)を使わなければなりませんが(写真参照)、ジャングルの中を流れる河をフェリーで渡るのもなかなか面白い体験でした。

また、両国の国境付近で珍しいのは、ブルネイに入る手前のマレーシア側にアルコール類を売る酒屋とパブが林立していることです。これは、ブルネイがイスラムの教義に厳格で、国内でのアルコールの販売をいっさい認めない禁酒政策を取っているためです。

ブルネイ人でもイスラム教徒でない住民やさほど敬虔でないイスラム教徒は、国境からマレーシア側に出てこれらのパブで酒を飲むか、旅行者として持ち込みが認められている量(ビールの缶なら12本、ボトル類は2本まで)を酒屋で買い込んで持ち帰るのです。若いブルネイ人女性のグループが、パブのテーブルにビールの瓶を何十本も並べて昼間から飲みふけっている様子は、両国の国境ならではといえるでしょう。

目的地に近づいたものの、夕方から南国特有の強烈なスコール(ゲリラ豪雨)にみまわれ、最後の数十キロは雨と闇の中での峠越えドライブとなって相当に消耗しました。それでもなんとか無事にコタキナバルに到着することができ、この地域でも随一のシーフード料理と冷たいビールで旅の疲れを吹き飛ばすことができました。

このときのドライブを含め、ブルネイ滞在中の10日ほどの間に国内一周、さらに東西の国境を隔てた隣国へ車で出かけ、合計10回の国境越えをしました。日本との間の出入国を含めて、この間にパスポートに押されたブルネイとマレーシアのビザのハンコは全部で22個、それだけで3ページ分が埋められました。
 多少の体力はいりますが、陸路の旅、おすすめです。

 (文・写真:金子芳樹)

 

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