『リア王』公演

11月7日、インターナショナル・シアター・カンパニー・ロンドンの『リア王』公演が開催されました。学生や教員だけでなく、卒業生や一般の方たちもたくさんいらして、観客はおそらく400名を超えていました。

役者が7人だけの小さな劇団ですが、最小限度の道具をうまく使って、スピード感ある上演を行うのが、この劇団の持ち味です。
嵐の場面では、大きな布を激しく振り回し、そのビュービューと空気を切る音と、時々それが床を叩く音で、暴風と雷鳴を表現していました。

その嵐の中をさまよいながら、狂気へと追いつめられていくリア王は、次のような台詞を語ります。

No, I will be the pattern of all patience;
I will say nothing.
いや、私は忍耐の鑑になってみせる、
何も言うまい。(第3幕第2場)

公演の翌日の授業で感想を聞いたところ、一人の学生が「"I will say nothing"のところでリアが「お口チャック」のジェスチャーをしたのが面白かった」と言いました。私はボンヤリしていたのか、その部分は見落としていました。こういう細部の面白さに気がつくのは、集中して観劇を楽しんでいる証しです。好奇心いっぱいで食い入るように舞台を見ているその学生の様子が目に浮かびます。

リア王の「お口チャック」の身振りは、怒りと狂気と理性が激しく渦巻く精神の極限状況が、グロテスクな滑稽さと紙一重になっていることを表現しているのかもしれません。残された言葉は、神々への告訴と人間への呪いか、道化のダジャレばかり。もう何か言ってもむだだから、何も言わない。

こんなふうに"I will say nothing"に虚無と不条理を読み解く立場とは別に、ここにキリスト教的解釈を見いだす人たちもいます。十字架にかけられる前のイエスは、不利な証言を言い立てられても何も言わなかったと、「マタイによる福音書」は伝えています。そのイエスの受難とリア王の苦しみが、この"I will say nothing"という台詞で重なり合うという解釈です。

「お口チャック」と「イエスの受難」ではまるで違う解釈です。他にも父親に愛情表現を求められた末娘コーディーリアが、ぶっきらぼうに"Nothing"としか答えなかった。その台詞がここにエコーしているという解釈もあります。ここがシェイクスピア劇の面白いところです。"I will say nothing"という短い台詞でも、解釈は無限に多様なのです。

こうした細部の解釈の多様性を見いだしていくのも、テクストを読む面白さの一つです。


 

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