街に着いたら市場と本屋・本屋編

市場と本屋。どこに出かけても、時間があればこの二つは必ず覗きます。いえ、時間がなくても、観光名所のひとつやふたつ、三つや四つはとばしても、本屋と市場には行かずにいられません。二つの場所の賑わいは、その場所の日常生活の活力のバロメーターでしょうし、そこに並ぶ品々には、風土と歴史と文化についての情報がぎゅうっと詰まっています。

さて今日お届けするのは、ロンドンでももっとも人通りの多い場所のひとつ、ピカデリー・サーカス(Picadilly Circus)からすぐのところにある、大手書店Waterstones'のウィンドウの写真です。ここは現在、ヨーロッパ最大の書店、夜9時まで開いていて、本好きには嬉しい場所。6月から8月にかけて、歩いて15分ほどのコヴェント・ガーデン(Covent Garden)に住んでいたので、人混みをかき分けかき分け、夕方の散歩がてら、この本屋にはよく出かけました。本を買っても買わなくても、ウィンドウを眺め、いくつかのフロアーをめぐって、ああ、これも読みたい、あれも読みたい、でも一日は24時間、起きているのは16時間、仕事もあるし、慣れない場所での生活は生活するのが仕事みたいなものでなにかと時間をとられるし、ああ、でもでも、おもしろそうなものがこんなにある、と幸せな消化不良とともに店を後にし、頭を冷やすため、時には遠回りして、セント・ジェームズ公園のほうに降り、北国の夏のいつまでも暮れない青い夕刻、芝生で一休み、トラファルガー広場を抜ける30分コースでフラットに戻ったものでした。(セントラル・ロンドンのvirtual散歩のためには、下の地図をクリックして拡大してみてください。)


まあ、そんな個人的な思い出バナシはさておいて、今ロンドンでどんな本が今読まれているのかを映す本屋のウィンドウを覗いてみましょう。この6冊、それぞれにジャンルも書かれた時期も異なりますが、共通項が一つあります。それは書き手がいわゆる「生粋の英国人」ではないということ。英語圏メトロポリスの文化の一側面をよく表しているな、と感じました。(なかで唯一英国生まれの英国人だと思われる、ストリート・アーティストのバンクシーはーー右上が作品集ーー覆面作家でプロフィールを明らかにしていません。)


この6冊のなかの気に入りの2冊について、簡単に解説を。左下、切なさときびしさのまじった瞳の男性が表紙からみつめているのは、わたしの大好きな作家、Sam Selvon(サム・セルヴォン)のThe Lonely Londoners (1956)。Seolvnはカリブ海のトリニダードのキリスト教を信仰するインド系の家庭に生まれ、1950年、27才で英国に移住しました。なぜカリブ海にインド人?インド家庭なのにキリスト教?不思議に思った方は、ちょっと調べてみてください。15世紀末、コロンブスによる「発見」によって、旧世界と新世界が出会った場所、カリブ海地域の複雑な歴史がわかるはずです。さて、第二次世界大戦後、そのカリブ海の英国植民地からは、宗主国の戦後復興の労働力として、1948年から62年までの閒に25万という人々が海を渡りました。Selvonもその移民の波の中にいた一人です。小説が生まれたのはもちろんロンドン。かつては憧れの地だった場所、でも来てみれば寒い暗い孤独な北の大都会で、差別に晒されながらも、たくましく日々をしのいでいくカリブ移民たちの姿を、哀しみまじりのユーモアとともに描いています。時に美しく煌くけれど、日常はくそったれな灰色の街への幻滅と、それでも消えない愛着とが、じわっと伝わってきます。半世紀以上も前にここで書かれた小説が今も版を重ね、読み続けられているのはなぜなのか、誰がいまこのストーリーの登場人物に自分の姿を重ねているのか、興味深く思います。ちなみにSelvon自身は、73年には再びの移住、カナダへと移っています。


もう一冊は左上、現在ロンドン市内に4店舗を持つ人気レストラン、OttolenghiのSami TamimiとYotam Ottolenghiの二人によるレシピ本。インテリアコーディネーターをしている若い英国人の家にお茶に呼ばれて、Ottolenghiのケーキをはじめて食べたときには、ちょっとびっくりしました。東京やパリでも通用しそうなケーキが、食の後進地だった英国でも手軽に手にはいるようになったとは!これまでの店売りのケーキと圧倒的に違うのは、軽みと、自然な、しかしくっきりとしたフレーバー。「どこで買ったの?」と聞くと、「お客さんのときにはここで買うんだ。オーナーシェフの名字がそのまま店名みたいだけど」とレシートを見せてくれました。Ottolenghiという名前に、やっぱり英国以外のルーツをもつ人だな、とその時思ったのを覚えています。(写真は友人宅でのお茶のテーブル)


どういう人たちなのだろう、と、今回、この記事のために調べてみたら、TamimiとOttolenghiの二人はともに現在はイスラエルと呼ばれる場所の出身です。「現在イスラエルと呼ばれる」と面倒な表現をした理由は説明するまでもないでしょう。OttolinghiのHPの紹介によれば、Tamimiは東エルサレムのアラブ地域で育ち、両親がパレスチナの伝統的な料理を丁寧に熱心に作るのをいつも見ていたそうです。東エルサレムは48年にアラブ=イスラエル戦争でヨルダン領となり、67年にイスラエルが六日戦争と言われる戦争で領土としたアラブ系の人々が住む場所です。そして、店のpatron chefで、英国の日刊紙The Guardian(『ガーディアン』)で野菜料理の頁も持っているOttolenghiのほうは、母がドイツ人、父がイタリア人の、エルサレム生まれ。文学と哲学の修士号をとり、日刊紙Haaretz(『ハーレツ』)で働いた後、料理の世界に転身しました。ちなみにかつて働いていたHaaretzは、イスラエルメディアの中では、ガザ占領やウェスト・バンクへの入植にもっとも批判的なスタンスをとり、知識層に読まれている新聞として知られています。興味深い人生の軌跡をもつ二人が、90年代後半にロンドンでチームを組みスタートさせたのが、この料理店なのです。(写真は本の写真の拡大版)

Ottolinghiの二人がなぜロンドンを仕事の場に選んだのか、そこまでは今のわたしにはわからないけれど、もう何百年も、この北のメトロポリスが様々な事情で故郷を離れた人々にとっての「避難都市」の役割を果たしてきたのは事実です。マルクスもフロイトも、ここで晩年を送り亡くなりました。ハイゲイト墓地(Highgate)のマルクスの墓には、例の有名な一節、'WORKERS OF ALL LANDS UNITE'(万国の労働者たち、団結しよう)に続いて、'THE PHILOSOPHERS HAVE ONLY INTERPRETED THE WORLD IN VARIOUS WAYS - THE POINT HOWEVER IS TO CHANGE IT.'(哲学者は様々に世界を読みといてきた。けれど大事なのは世界を変えること。)と刻まれています。マルクスが亡くなってから125年、2008年の夏、資本と欲の暴走の結果、合衆国で1929年の大恐慌以来の金融危機が起き、それに端を発する世界不況はいまも続いています。日本でも、派遣労働者の厳しい生活状況などが問題となっていますが、現在欧州のあちこちでは、悪化する労働状況と生活の苦しさを訴える労働者たちの抗議行動が頻発しています。そして、UKでは、日本でも報道されているように、このブログの前回の記事でも少し触れたように、学費値上げと一連の財政支出削減に抗議する学生たちの行動が本格化してきています。大学へ補助金カットと学費値上げが議会に出されるまでの、これから二週間ほど、この行動によって何らかの変化がもたらされるのかどうか、目が離せません。今回もタイトルからずいぶん遠いところまで散歩してしまいましたが、ふたつのゴハン、食べものと読み物から始めた話は、どこにでもつながっていくようです。それではまた。

 

獨協大学英語学科の公式ブログへようこそ!

このブログでは,英語学科の教員が授業のこと,校務のこと,研究のこと,プライベートのことなどを書き綴ります.お楽しみください.

英語学科HPへ

Blogger Templates by Blog Forum