高校教科書再活用のすすめ ~受験生への小さな苦言と大きな提言~ (1)


 今年もいよいよ入試のシーズンが到来しましたね。昨年、試験問題の配布ミスなどで大きく混乱した大学入試センター試験でしたが、今年は概ね無事に終了し、これから多くの私立大学の入試や国公立大学の二次試験の火蓋が切られます。寒さがますます厳しさを増す時期でもありますので、受験生の皆さんは健康管理にいっそう留意して、ふだんの実力を惜しみなく発揮してほしいと願っています。

 さて、現在の日本の大学、特に私立大学には、実にさまざまなパターンの入試が存在します。バラエティに富んだ受験生に門戸を開くという点でメリットも大きい反面、いわゆる「1科目入試」をはじめとして、少数科目入試(=入試科目の軽量化)が受験生、ひいては大学生の基礎学力の深刻な低下を招いているという厳しい指摘もあります。実は、かく言う私も、若者の基礎学力の低下を憂え、憤り、何とかならないものかと日々考えをめぐらしている一人なのです。今、この時期に、このブログを読んで下さる受験生には少々耳(目?)が痛い苦言を敢えて書きますが、その後で自分の経験談も紹介しつつ、ためになる(と、自負している)アドバイスも書きますので、最後まで読み通してくれたら嬉しく思います。

 今から14年前の1999年に、『分数ができない大学生』(東洋経済新報社)という本が出版され、話題になったことがあります。3人の編者が名を連ねているのですが、彼らは日本数学会のメンバーで、大学の数学教育の抱える問題を検討してきた先生がたです。この本の帯に書かれている「信じられないでしょうが、大学生の10人のうち2人は小学生の算数ができません。」というショッキングな言葉が、ひときわ目を引きます。私は、この本を読んだ当初、どうせ販売戦略のために針小棒大に内容を誇張した本だろうと高をくくっていました。そして、ものは試しと、編者たちが調査で使用したという簡単な(少なくとも私には)問題を当時の身近な学生数人に解いてもらいました。問題の内容は、分数同士の割り算、四則演算が混ざった整数の計算、一次方程式、二次方程式、平方根の計算などです。結果は・・・。私は絶句し、この本が決して嘘を言っていないことがわかりました。いくら英語学科の学生だからといって、それはないだろう! ひょっとして・・・と思い、次の機会には、高校で学んだはず(だと、私が考える)の他の科目(古文、漢文、世界史、日本史、地理、政済、倫理、物理、化学、生物など)のごく基本的な、「一般常識レベル」の問題をまとめて、やはり身近な学生に解かせてみました。数学の問題と同様に惨憺たる結果で、私は頭を抱えてしました。おそるおそる学生たちに理由を尋ねてみると、①高校でコースの特性上、特定の科目の授業自体がなかった、②授業はあったが入試科目ではないので自ら勉強を捨ててしまった、という2つの答えが返ってきました。この瞬間、私は上記の本の編者たちの思いに心から共感することができたのです。そして、それ以来、大切なゼミ生を選考する時には、上記②に該当する学生にはご遠慮いただこうと、英語以外の高卒レベルの学力と知識を詳しくチェックすることにしています。

 実は、私が実際に入学した慶応義塾大学文学部の入試も外国語1科目と社会科1科目の計2科目のみであったと記憶しています。が、私の卒業した高校というのが旧制中学を前身とする古い伝統校で、文系・理系のコース分けと若干のカリキュラム構成の違いはありましたが、基本的には「全科目主義」を厳しく徹底していました。国立文系を志望していた私ですが、理科は物理、化学、生物の3科目を履修しましたし、数学は一時「数学Ⅲ」まで習わされた?苦い思い出があります。功利打算に陥ることなく、大学の入試科目に引きずられない毅然とした意思を貫いていました。40年近い歳月が流れましたが、OBとして、今もそうであってほしいと願うばかりです。要するに、入試は入試、高校の勉強は高校の勉強なのです。それを履き違えてはいけないのです。入試のために高校の勉強を犠牲にすると、長い目で見ると大きな損失になります。かけがえのない大切な宝物を目先の利益のために捨ててしまうようなものです。確かに、私の高校での成績は英語以外あまり芳しくありませんでしたが、後述するように「全科目主義」の教育を受けて本当によかったと、今つくづく実感しています。

(つづく)

 

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