ブータン王国バイクツーリング


 夏休みにブータン王国を旅してきました。昨年は日本からDoor to Doorで韓国をバイクで一周してきたのですが、今年は趣が変わり、現地でインド製のバイクを借り、現地ガイドとサポートカーを引き連れてという、なんだか大がかりなツーリングとなりました。ということで、一般にあまり馴染みがないブータンの情報と合わせて、その様子を紹介しておきます(写真はクリックすると拡大します)。

・ブータンの観光事情
 

ブータン王国といえば、若い国王が結婚したての王妃を伴って2011年に来日した際、二人の一挙手一投足がマスコミで報じられ、日本でもにわかに有名になりました。 

長きにわたって外国との交流を制限する鎖国的な政策をとり、開放策に転じた後も「GDP(国民総生産)ではなくGNH(国民総幸福量)の向上を目指す」というキャッチーな国家ビジョンを打ち出してきた一風変わったアジアの途上国として気になっており、私自身もいつか訪れてみたい(できればバイクで)と以前から考えていました。しかし、旅行で行くには何かと敷居が高いのがブータンです。

なにしろ、各国が手っ取り早い外貨獲得策としてこぞってインバウンド観光の振興を推進するなか、ブータンは外国人の自由旅行をいっさい認めず、実質的に旅行者数を制限してきたのです。いまだに、政府が定額の旅行料金(シーズンによって1日200米ドルまたは250米ドル)を設定したうえで、利用するホテル、レストランから同行するガイド(同行は必須)まで、すべて事前に指定するセットメニュー型の旅行しか認めていません。

ブータン政府はこれを、伝統文化と自然環境を守りつつ、観光資源を質の高い状態で外国人に提供するため、と言っています。実際、私が今回見た限りでも、この国の観光資源はきわめて豊富で、たしかに良質に保たれています。その反面、ブータンを訪れたい外国人にとっては、価格の面でも自由度の面でもハードルが高くなっており、結果的にブータンへの外国人観光客は年間2万人程度に抑制されてきました。 

しかし、その一方で、政府は観光振興を政策の柱の一つに掲げてもいるのです。観光客の絶対数は少ないものの、観光業はGDPの十数%をも稼ぎ出しています。2011年のワンチック国王の訪日も、日本からの観光客誘致が一つの狙いであったのは間違いありません(実際に国王訪日を境に日本人観光客は倍増)。観光についてこの国は、いわばブレーキとアクセルを同時に踏んでいるような状態なのです。このことからも、ブータンの特殊性の一端が伺えるでしょう。

・旅のセッティング 

そんなブータンなので、国内をバイクで自由に走り回れるなど、とても考えられませんでした。かといって、高額の料金を払ってセットメニューのツアーに参加する気にはなれず、個人的には「行きたくても行けない」国だったわけです。 

ところが・・・たまたま「Bhutan」と「motorcycle」をキーワードに(日本語ではなく英語で) Webで検索してみたところ、ヒットするではないですか! しかも、そのまんま「Motorcycle Bhutan」というバイクツーリング提案のページ。さらにそれは、同国最大手の旅行会社で政府にも近い「Bhutan Tourism Cooperation Ltd.」(BTCL:政府観光公社が1991年に民営化)のサイト内にありました。これは政府公認みたいなものです。このサイトを見た瞬間、私のなかでブータン行きのスイッチが入りました。

そのあとすぐにBTCLにコンタクトして、旅程やルートを含めた様々な打ち合わせや条件交渉をし、国際送金(かなり面倒)での支払いを済ませました。担当者はこちらの細々した要求を理解したうえで、ブータンのルールや流儀との兼ね合いなどを考慮し、じつに丁寧に対応・説明してくれました。ブータンは小さなアジアの最貧国ですが、一部の人たちの教育水準は英語力も含めて、かなり高いのだろうとこのとき感じました。


この国でのバイクのツーリングは、冒頭にも書いたように、もう1台のバイクに乗るガイドが同行し、サポートトラックが後に付き、その車にドライバーとバイクのメカニックが同乗することが条件です。当初、ガイドもサポートカーもいらないから、バイクだけ貸してくれと要求しましたが、もちろんそれは認められません。結局、バイク2台とピックアップトラック1台に乗る計4人のチームで7泊8日のツーリングに出かけることになりました(料金は、バイク代60米ドル/日以外は普通の旅行者と同じなので、じつはとてもお得)。これまでほとんどが一人旅だった私としては、大名行列のような大げさなセッティングは苦手なのですが、今回については3人のブータン人といっしょに巡る1週間の旅はとても有意義で、結果的にこの体制で良かったと思っています。

ブータンの国家としてのあり方について旅の途中に考えたこと(例えば、GNHの追求は通常の途上国の開発政策とどう違うか、国民はなぜ自分たちが幸福だと 思っているのか、この国の王制と民主化との関係は、など)は、別の機会に述べるとして、このブログではとりあえず、バイクで走りながら見聞きし、経験した ことを書いておきます。

 ・ブータンの道路

バイクの旅では、まず乗るバイクと走る道路の状態が重要です。今回使ったバイクは、インド製の「ロイヤル・エンフィールド」という南アジアの国々では有名な「名車」です。みるからにクラッシックなバイクで、実際に基本設計は50年ほど前のものですが、インドでは現在でも新車として生産・販売されています。もともと旧宗主国イギリスのメーカーが製造していたものを、インド資本が買い取って作り続けているのです。機械としての絶対性能は、日本製や欧州製のバイクと比べて大人と赤ん坊ほども違いますが、独特のテイストを持った魅力的なバイクなのです。
もう一つ重要な道路状況ですが、この点でもブータンは特徴的でした。かつてバイクで走った41カ国の中で、ロードコンディションが最悪だったのは、社会主義崩壊直後に走ったルーマニアと10年ほど前に行ったラオスですが、じつはブータンの道はそれらに並ぶレベルです。道路は最も基本的な経済・社会インフラですから、道の悪さはこの国の発展にとって大きな足かせになっているはずです。

ブータンの道が悪い(舗装が行き届いていない、でこぼこのまま補修がされていない、道幅が狭い、崖崩れなどの処理が不十分で危険など)最大の理由は、この国の地形にあります。ブータンの国土は、北は世界最高峰の8000m級のヒマラヤ山脈から、南は海抜200m程度の亜熱帯地域まで、全体に南北に大きく傾いた斜面にあります。大量に降る雨やヒマラヤからの雪解け水がその斜面を流れ落ちて急流を作り、大地を削り取って南北に多くの深い谷と高い尾根を作り出しているのです。


主要な町はそれぞれの谷の部分にあるので(標高は2000m前後)、これらの町を結ぶ道路は、谷から谷へと標高3000m以上の山を上って下るルートとなります。車がまともに走れる幹線道路は、基本的に東西方向に一本、南北に数本あるだけの簡単な構造ですが、特に東西を結ぶ道路は谷と尾根を幾つも横切る曲がりくねった急峻な山岳路となってます。このような山岳地帯特有の険しい地形と道路整備に手が回らない経済状況、それらが道路の整備を遅らせているというわけです。今回走ったのは主要な町を巡る東西間の往復ルートなので、とにかく毎日、標高3000m以上の峠を越えるライディングでした(景色は最高です!)。町の周辺の道路は舗装もしっかりしていて問題ないのですが、山に登るに従って悪路が多くなります。8月までの雨期に大量の雨が降るため、切り立った山肌を削って作った道路はあちこちで土砂崩れを起こしていました。ちょっとでも道を外れたら、はるか彼方の谷底まで真っ逆さまという、日本なら絶対に通行が許可されないようなところを何カ所も通りました。 

そんな山間の道を走っている時、日本の援助(ODA)で架けられた橋に3ヶ所で出会いました。それほど巨大な橋ではありませんが、頑丈そうな鉄の橋が、「日本国民よりブータン王国と日本国の友好と協力のしるしに」と記されたプレートとともに、それぞれの場所で存在感を放っていました。 

それからもう一つ、まだ車が少ないこともあり、ブータンには、なんと信号機が一つもありません。首都ティンプー市内はさすがに車の数は多いのですが、それでも交差点に信号はなく、警察官が手信号で交通整理をしています。考えたこともありませんでしたが、日本にはいったい何本の信号機があるのでしょう。その違いが、日本とブータンの交通事情、ひいては人々の生活や発想の違いを端的に表しているといえるかもしれません。 

・自然と歴史遺産

この国を回ってみて、まず印象的なのは、都市部以外ではほとんど手つかずに残されている豊かでダイナミックな自然と、その中で伝統を維持しながら生活する人々の姿です。自然は、特にヒマラヤから連なる山岳地帯の山と谷が織りなす壮大な景観が見事でした。

バイクの旅は、生身の体を外界にさらしながら五感のすべてを動員してその場所を感じ取り、少なくとも移動した道の周囲の風景のすべてを(一秒も居眠りすることなく)記憶に刻みながらたどる点で、他の旅と違います。今回はそんなバイクでの旅の効果が、うまく発揮されました。
 

都市部から農村部を抜け、川に沿って高原地帯を通り、さらに急な坂を登って富士山の頂上に近い高さの高山帯を越えるという一連の行程、これを地方ごとに少しずつ違う個性を感じながら毎日体験できるのです。また、この国では標高2500m以上の高地にまで人々が住み着いて、自然の中で農畜産業に従事しながら生活しており、そのような人々とも道すがら間近に触れ合うことができます。 

自然とともに印象深いのは、15世紀から19世紀にかけて築かれた城(ゾン)と寺院(ラン)、およびその中に所蔵されている仏像や壁画の数々です。主要な町に必ずあるゾンは、この国を代表する文化遺産であるばかりでなく、現在でも各地域の行政と仏教信仰の中心として生き続けています。各地のゾンの内部には、その地方の行政機関がオフィスを構え、日々の業務にあたっています。首都ティンプーのゾンには国家の行政機構が入っています。また、ゾンの半分は寺院と僧侶の宿舎となっており、幼い修行僧から高僧まで多くの僧侶が住んでいます。 

また、ゾン内の寺院やそれ以外にも各地に数多く存在する寺院の中には、驚くほどたくさんの仏像や壁画が納められています。残念ながら寺院内部は撮影禁止のため、写真で紹介することはできませんが、それはそれは素晴らしい文化遺産の宝庫です。ブータンの仏教はチベット仏教の影響を色濃く受けており、日本の仏教遺産とは趣を異にしますが、それぞれに特徴を持ち、迫力あふれる仏教遺産の数々に圧倒されました。 

観光産業の観点から見ると、この国の自然と歴史・宗教遺産は、極めて価値の高い観光資源として、世界中から観光客を引きつける魅力を持っていると思います。ただ同時に、これらは、今を生きるブータン人にとって日常に埋め込まれた生活の場であり、また神聖な信仰の場でもあります。そういった様子を目にすると、それらを観光資源として外国人に開放することを躊躇し、制限しようとするこの国の姿勢もまた理解できます。

・人々の生活


ブータン人が自ら幸福であると思っているかどうかは別として、近代化に向けた経済発展の水準を他国と横並び比べる限り、ブータンは明らかに低開発の国といえます。公務員の平均月収は2〜3万円だと聞きました。ただ、地方の農村部を含めて電化率はインドやネパールよりもかなり高いと見受けられますし、水も質を問わなければいたって抱負です。また、自動車やバイクは少ないですが、携帯電話が地方の農民の間にまで広く普及しているのには驚かされます。

外で目につくのは、民族衣装であるゴ(男性)とキラ(女性)を身にまとった人々の姿です。学校や職場の制服は民族衣装と定められ、またブータン人には外出時や行事への参加時などに民族衣装の着用が求められます。私のガイドを務めてくれたタシも、ゾンや寺院を訪れる際には民族衣装に着替えてからバイクに跨がります。また、約60万人の人口の1%ほどが僧侶という敬虔なお国柄から、赤い僧衣に身を包んだ僧の姿も多く目にします。伝統文化を維持しようとする側面がある一方、2000年代からの対外開放策やグローバル化の影響によって、それらが徐々に変わろうとしている面も見受けられます。携帯電話の普及もその一例ですが、それ以外にも、建設現場や道路工事の現場で働いている労働者の多くがインド人やネパール人であることに気づきます。ブータン人自身も所得水準はまだ低いのですが、さらに賃金の安い外国人労働者を近隣諸国から呼び入れているのです。もともと多民族な国ですが、さらに外国人労働者が増えて多民族化が進んでいるようです。

最後に、教育面、特に英語教育についてちょっとだけ触れておきましょう。最初にも述べたように、教育水準の高いブータン人は英語が得意です。ガイドのタシもインドで大学教育を受けており、流ちょうな英語を話します(ただし、ブータン人の英語はインド人のそれと比べてずっとわかりやすいと思います)。王族や貴族層のように英米で高等教育を受ける人々も一部にいるようですが、むしろ彼のように隣国インドに留学する人のほうが多いようです。

国内の小学校でも英語教育は盛んで、今回アポなしでいきなり見学させてもらった地方農村部の小学校でも、かなり高度な英語の授業をしていました。小学校でも理系の授業などは英語を授業用語に使っているようです。国語であるゾンカ語を整備しながら、同時に英語にも重きを置く姿勢がうかがえました。ということで、書き始めたら長くなってしまいましたが、それほどブータンが印象深い国だったということなのでしょう。未知の国への旅という意味でも、秘境でのバイクツーリングという意味でも、心に残る経験でした。いずれにしても、お世話になったブータンの人々に感謝です。

(文・写真:金子芳樹)




 

獨協大学英語学科の公式ブログへようこそ!

このブログでは,英語学科の教員が授業のこと,校務のこと,研究のこと,プライベートのことなどを書き綴ります.お楽しみください.

英語学科HPへ

Blogger Templates by Blog Forum